観たもの日記

見たものの感想などを徒然に書き留めてみようと思います。減る一方の語彙力の維持になるなら、、

オッペンハイマー

3時間の大作。
2024年のアカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞。

オッペンハイマーが量子物理学者として有名になり、第二次大戦中に原爆開発計画のリーダーに選ばれて核兵器開発に成功するまでと、スパイの疑いを受けて諮問される冷戦期の2部構成になっていて、さらにその中で時間が行ったり来たりする。
登場人物が多く関係をフォローするのが難しい上に、アメリカでは知られた史実については説明なしにどんどん話が進むので、予習をしてから見た方が良かったかも。

オッペンハイマーに公の場で恥をかかされたことを恨んで彼の名声を貶める策略をしかける原子力委員長役のロバートダウニーJr.がうまい!本当にいそうな、自分の地位と名声に固執する小物を演じている。策略が全てうまくいったようにみえて、彼を嫌いオッペンハイマーの科学者としての清廉さを支持する科学者達から反撃されて策略が露見し、望んでいた閣僚にも議員の反対にあって(なんとケネディ上院議員!)なることができず、ざまあ、でした。

後半は法廷劇のような面白さ。次々に証人が呼ばれてますますオッペンハイマーは不利になっていき、畳み掛けるような質問のやり取りは映像と音響の効果もあり緊迫感がすごかった。
そしてオッペンハイマーこれで終わりか?という時に、彼の無実と清廉さを信じる昔の仲間達が、政治的に不利になるかもしれないリスクを冒しても彼を擁護する証言をし、妻のキティも共産党員だった過去についての質問を見事にかわして、オッペンハイマー売国疑惑は晴れる。
爽快な展開で、前半の分かりにくく長い時間を帳消しにする運びだった。

しかしこの映画の真価はここから。
そうやって名誉を回復しても、やはり人類史上最悪の兵器を開発した責任者という事実はなくならず、世間の評価も割れたまま。何より自分自身が苦しみ続けるという罰を受ける。プロローグや途中で時々挟み込まれる原子の世界の壮麗な映像も、彼が苦悩する時に見ている幻視らしい。英語のタイトルの、American prometheusという言葉のとおり、ずっと責め苛まれるというわけだ。

原爆開発計画のリーダーになった時、アインシュタインにかけられた一言が最後に明かされる。
君もずっと苦しむことになる、その代償に神がくれるのはまるでポテトサラダのようなちっぽけなご褒美だけだ、と。アインシュタインもずっと呵責に苦しんで、偉人と讃えられながら変人であり続けた。
オッペンハイマーも晩年は叙勲されるなど名声を取り戻すが、最後まで苦悩し続けた。

映画は諦観するような彼の顔に、核弾頭をつけたICBMが地球を火の海にしていく映像が重なって終わる。 
人類がそのような終わり方をするかもしれない可能性を与えてしまったことを知り抜いていて、自分を誤魔化して責任を逃れることができないオッペンハイマーの誠実さは、ならなぜそんな開発に突き進んだのか、という疑問を生む。それは科学者だから、仮説を検証したいから、真理を知りたいと思うのが人の心だから、とは簡単に答えられない。
ユダヤ人だから、ナチスの侵略をなんとしても止めなければならなかったから、というのも全てではない。
原爆の被害者の描き方が生ぬるいという批判をうけているらしいけれど、壮大で美しい原子の世界の映像は禍々しくもあって、人間の手の及ばない宇宙の真理と底知れない力の恐ろしさを充分に伝えているのではないか。背景に流れる空恐ろしいような音響効果も、人間を超えた宇宙の力の強大さの前に謙虚な気持ちにさせられた。

 

監督 クリストファーノーラン

ロバートオッペンハイマー キリアンマーフィー
キティオッペンハイマー エミリーブラント
レスリークローヴス マット・デイモン
ルイスストローズ(原子力委員長)ロバートダウニーJr.
愛人ジーン フローレンスピュー
科学者 ジョシュハートネット
科学者 ケイシーアフレック
科学者 ラミマレック
科学者 ケネスブラナー
トルーマン大統領 ゲイリーオールドマン

 

DUNE砂の惑星2

ハルコンネン家に抹殺されたアトレイデス家の息子ポールが、唯一無二の香料を産出する惑星アラキスの原住民である砂漠の民フレメンのリーダーとなって、宿敵ハルコンネン男爵とその息子達を倒し、男爵の後ろにいた皇帝を屈服させて皇帝の地位を奪うまでを描く。

前半はポールがフレメンのリーダーになるまで。
男爵家の香料採取船襲撃で力を認められて戦士としての名前とフレメンとしての名前を与えられ、フレメンの少女チャニとも恋仲になる。
砂虫を乗りこなす試練も見事にクリアして、リーダーとして認められ、伝説の預言者ではないかと崇められるようになる。
砂虫に乗りこなすシーンが秀逸。周りの見えない砂嵐の中、やがて立ち上がって砂漠を疾走する姿は、ジブリだったらあの音楽が付くこと間違いなし。固唾を飲んで見守っていたフレメンたちの様子は、おはば様のように、おおお伝説はまことであった、と言わんばかり。

ハルコンネン家の暴虐さや全体主義的な描き方はちょっと型通りで鼻白らむ。
魔女集団のベネゲセリットたちの方がはるかに狡猾でおどろおどろしい。誰が皇帝になろうが自分たちが操れる者かを見極めようとする。

後半は本格的にフレメン討伐に乗り出したハルコンネンとポールたちの戦い。
ハルコンネン家のサイコな次男が次期男爵として暗躍する。
一方で、ポールはアトレイデス家の忠臣と再開し、南部の砂漠に秘匿した核ミサイルの存在を知り、フレメン達の教祖になった母の導きで、命の水を飲んだことで眠っていた予言の力が目覚める。
また、この体験の中で、母がハルコンネン男爵の娘であることも知る。母は妹を宿していて、その妹はまだ胎児なのに母と会話を交わして状況を逐一把握しており、とんでもない能力を持つ様子。
自分の運命に従う決意をしたポールは、伝説の預言者である救世主だと名乗ることを躊躇しなくなり、フレメンを率いて皇帝軍に戦いを挑み、ついに皇帝を追い詰める(ここが意外とあっさりだったのが残念。強大なはずの男爵や皇帝が全然弱かった。ここを丁寧に描いて、映画を2回に分けても良かったかも)。
捕虜にした皇帝に剣を手に直接対決を挑み、代理として立った次期男爵と死闘を繰り広げ、勝利。
皇帝を退位させて自ら皇帝となり、皇帝の娘を妻に迎える。
しかし諸侯連合はそれを認めず、ポールと諸侯との新たな戦いが始まる。
チャニは妾になることを拒んで砂漠に戻る。

前作ほど血生臭い戦いのシーンが続くわけではなく、砂虫サーフィンのシーンは迫力があって楽しかったけれど、見終わった後の感想は「欧米の本音って力が全てなんだな」に尽きた。
力のあるものが弱者を支配するのは当然、とでもいうような論理が絶対に根底にはある。そこに鼻白んだ。なんだかんだ綺麗事を言っていても、血みどろで戦ったギリシャローマからの民族間のガチな争いの記憶が体の奥底に沈殿していて、ちょっとかき混ぜるとその澱が上がってきて全体を濁らせる。